1985年に放映されたマイケル・ジョーダンのCM 6 選

経済誌『Forbes(フォーブス)』によれば、Michael Jordan(マイケル・ジョーダン)が1984年にNBA入りしてからの総収入は、2016年時点で約17億ドル(約1,900億円)以上。このうちプロバスケットボール選手としての総年俸は約9,000万ドル(約101億円)で、それ以外の収入の大半は、〈Nike(ナイキ)〉、「McDonald’s(マクドナルド)」、「Gatorade(ゲーターレード)」、〈Hanes(ヘインズ)〉、「UpperDeck(アッパーデック)」といった企業のCM契約料だという。

プロ入り初年度の年俸が約6万ドル(当時のレートで約1,500万円)だったJordanに対し、〈Nike〉が5年総額約700万ドル(同、17億5,000万円)ともいわれる大型契約をオファーしたのは有名な逸話だ。以降、彼はキャリアを通じて多くのCMに出演し続けてきた。本稿では、そのプロ入り1年目にあたる1985年に放映されたCM6本をご紹介しよう。

Nike Air Jordan “Banned”

「9月15日、Nikeは革新的なバスケットボールシューズを開発した。10月18日、NBAはこのシューズをゲームから追放した。しかし幸いにも、NBAはあなたがこのシューズを履くことを禁止はできない。Nike、Air Jordanより。」

すべては、〈Nike〉が展開したこの”Banned” CMから始まった。JordanがはじめてAir Jordanを着用したのは1984年9月15日、『マディソン・スクエア・ガーデン』で開催されたプレシーズンマッチでのことだった。NBAは“ユニフォームの統一性”が保たれていないことを理由にJordanにテクニカルファウルを与え、またブルズに対しては“公式戦で同じことが起こればチームに罰金を科す”と警告した。〈Nike〉はこの問題を逆手にとり、翌85年春のAir Jordan 1発売に合わせてこのCMを放映した。

J. B. Strasser(J.B.・シュトラッサー)とLaurie Becklund(ローリー・ベックランド)の共著『スウッシュ』によれば、1984-85シーズン開幕直後、ナイキはNBAと会合を持ち、“Chicago”カラーであれば規約違反とみなさないことで合意。“Banned”のCMについても、NBA自ら放映を許可している。

Nike Not meant to fly

前述した“Banned”のCMは放映後、NAD(全米広告審査局、日本でのJAROのような存在)より「(この靴を履けば高くジャンプできるなど、あたかもその性能が優れていることによって、NBAが使用を禁止したかのような印象を与え)消費者をミスリードする可能性がある」との注意を受けている。〈Nike〉はこの見解に同意していないが、直後にバスケットボールの神様をジェット機になぞらえたこのCMへ差し替えている。

Nike Christmas

“Chicago”カラーを履いたMJと、“Bred”カラーを履いたサンタクロースの1on1。実はJordanはいわゆる”Bred”カラーを公式戦では一度も着用していないが、繰り返し放映されたCMが、人々に強い印象を残した。

Chicago Bulls

プロ入り1年目で新人王を獲得し、リーグにセンセーションをもたらしたJordan。2年目となる1985-86シーズンの開幕に向けて制作されたCMでは、すでにスター選手の扱いだ。

Chevrolet IRoc-Z

Jordanは〈Nike〉との契約時、ボーナスとしてシボレー・ブレイザーを欲しがったと言われる。その縁だろうか、「Chevrolet」のディーラーのCMでもダンクを決めている。チラッと映り込むのはAir Jordanの“Black Toe(つま黒)”?

McDonald’s

“Black Toe(つま黒)”のAir Jordanがはっきりと確認できるクォーターパウンダーのCM。ブルズのユニフォームが新しくなっていることから、1985-86シーズン前に制作されたものであることがわかる。

〈Nike〉のCMは当然として、他企業のCMでも自身のシグネチャーモデルをしっかりと見せつけるJordan。彼の敏腕エージェント、David Folk(デビッド・フォーク)と〈Nike〉が立てた“Air Jordan 戦略”は、プロ入り1年目から徹底されていたことがお分りいただけただろうか。